1920年代(せんきゅうひゃくにじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1920年から1929年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1920年
1921年
1922年
1923年
1924年
1925年
1926年
1927年
1928年
1929年
時代背景
アメリカ
第一次世界大戦の特需にアメリカは大いに沸いた。アメリカ経済は空前の大繁栄をとげ、戦前の債務国から世界最大の債権国に発展した。世界経済の中心はロンドンからニューヨークのウォール街に移った。大衆の生活は大量生産・大量消費の生活様式が確立する。一般には「黄金の20年代」と呼ばれ自家用車やラジオ、洗濯機、冷蔵庫等の家電製品が普及した。1920年には女性への参政権が与えられるようになった。ベーブルースによる野球人気やチャップリンの映画、黒人音楽のジャズなどのアメリカ的な文化が開花した。一方で1919年に制定された禁酒法によってアル・カポネなどのギャングが夜の帝王として街を支配するようになった。
中国
中国では軍閥が割拠し政治的な混乱が続いた。租借地において列強による植民地支配が行われた。上海が魔都或いは東洋のパリとも呼ばれナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。
国際社会
国際社会でも、軍縮平和の動きが広まり、国際連盟が成立した。ヨーロッパではパリ講和会議に伴うヴェルサイユ体制が、アジア・太平洋ではワシントン会議に伴うワシントン体制が成立し、1930年代中盤までこの二つの体制が戦間期の国際秩序を維持することになる。
世界初の労働者国家であるソビエト社会主義共和国連邦 (ソ連)の成立もこの時代に大きな影響を投げかけた。1920年代に入る直前には、十月革命に倣ってドイツやハンガリーで社会主義革命の動きが見られたが、政権は長続きしなかった。ソ連も第3インターナショナルを通じて世界革命の遂行を目指したが、その指導的立場にあったレーニンが死去し、一国社会主義を唱えるスターリンが権力を握ったため、レーニンの路線を引き継いでいたトロツキーは失脚し、インターナショナルも当初の目的から方向を転じることになった。
アメリカの経済的繁栄と、それによる資金援助(ドーズ案・ヤング案)により、ヨーロッパ各国は1920年代後半には相対的な安定期を迎えた。ロカルノ条約やパリ不戦条約が結ばれたのもこの時期である。しかし1929年に世界恐慌が発生すると、世界情勢は一変する。植民地や資源を持たぬ日本・ドイツ・イタリアと、それらを持つイギリス・フランス・アメリカとの対立が激しさを増し、世界恐慌はアメリカの経済失策が原因だったが、それをなすりつけて日本・ドイツが悪いと名指しし経済封鎖した事から対立が本格化し、日本・ドイツ側は激怒すると共にそれを打開する為に再び戦争の道へと足を踏み入れることになるのである。
人物
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脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク