この項目では、メキシコ出身のギタリストについて説明しています。その他のカルロス・サンタナまたはカルロス・サンターナについては「カルロス・サンタナ (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
カルロス・アウグスト・サンタナ・アルベス (Carlos Humberto Santana Barragán , 1947年 7月20日 - )は、メキシコ 生まれでアメリカ国籍のギタリスト 。自身の名を冠したロック・バンド「サンタナ 」を1960年代 から率いている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年 は第15位、2011年 の改訂版では第20位。
経歴
生い立ち
1947年、メキシコ ・ハリスコ州 アウトラン・デ・ナヴァロ (英語版 ) 生まれ。マリアッチ のヴァイオリン 奏者だった父の指導のもと、5歳でヴァイオリンを習い、8歳でギター を習った[ 注釈 1] 。 弟のホルヘ・サンタナ (英語版 ) もプロのギタリストになろうとした。米国 のロック とポップ・ミュージック にメキシコ人はごく少数しかいなかったその当時、カルロスはリッチー・ヴァレンス から大きな影響を受けた。カルロスの家族は、カリフォルニア州 との国境 沿いのティフアナ へ移住し、その後サンフランシスコ へ移った。カルロスはティフアナに留まったが、1962年にサンフランシスコで家族と合流した。10歳から12歳の頃、カルロスに国境を越えさせたアメリカ人の男にカルロスは性的虐待 を受けたという[ 1] [ 注釈 2] 。
カルロスはサンフランシスコのミッション・ディストリクト に住み、ブルース やラテンジャズ に傾倒した。James Lick Middle Schoolを卒業し、1965年にMission High School を卒業した。カリフォルニア州立大学ノースリッジ校 とハンボルト州立大学 (英語版 ) に入学することができたが、大学に通うことを選ばなかった[ 2] 。
キャリア
カルロスは、B.B.キング 、T-ボーン・ウォーカー 、ジョン・リー・フッカー といったような1950年代 の人気のあるアーティストから影響を受けた[ 4] 。ギターの演奏を始めて間もなくカルロスは、50年代のロックンロール に独特のタッチを加えることができる場となる地元のバンド「Tijuana Strip」に加わった[ 4] 。ジャズ やフォークソング を含む様々な新しい音楽の影響も受け、1960年代のサンフランシスコを中心として興っていたヒッピー 運動も目にした。その後の数年間は食堂での皿洗いと路上ライブ で少額を稼ぎ、フルタイム のミュージシャンになることを決めた。
1960年代
1966年 、当時カルロスはビル・グラハム (英語版 ) のフィルモア・ウエスト (英語版 ) に観客として通っていた。ある日、ポール・バターフィールド がフィルモア・ウエストで公演する予定になっていたが、ポールは酔っ払ってしまったため公演できなかった。ビルは、ポールのバンドやグレイトフル・デッド やジェファーソン・エアプレイン などとのコネクションを通じて知っているミュージシャンを集めて即席のバンドを組んだが、ギタリストが足りなかった。カルロスのマネージャーのStan Marcumが、カルロスをそのバンドに加えることを直ちに提案しビルは同意した。ジャムセッション でのカルロスのギター演奏とソロ は、観客とビル双方の注目を集めた[ 5] 。その年にカルロスは、仲間のストリートミュージシャンのデイヴィッド・ブラウン (ベース )、マーカス・マローン (パーカッション )、グレッグ・ローリー (ミュージシャン) (英語版 ) (リード・ヴォーカル、ハモンドオルガン )と共にSantana Blues Bandを結成した[ 6] 。
1968年9月、アル・クーパー のライヴに参加。この時演奏された「ソニー・ボーイ・ウィリアムスン」(ジャック・ブルース のカヴァー)は、マイク・ブルームフィールド &アル・クーパー名義のライヴ・アルバム『フィルモアの奇蹟 』に収録。カルロスの演奏が収録された初のレコードとなった。
1969年、カルロスはコロムビア・レコード と契約し、バンド名のSantana Blues Bandを短縮してサンタナ とした。サンタナは、カルロスの絶妙なギター演奏と、カルロスのトレードマークとなった自律的なメロディにより、アフロキューバン (英語版 ) やラテン・ロック 風味の一連のヒットアルバムをリリースした[ 7] 。
1969年8月、ウッドストック・フェスティバル に出演。同月、デビュー・アルバム『サンタナ 』発表。同アルバムは、アルバム・チャートでベスト10に入るヒットとなった。
セカンド・アルバム『天の守護神 』は、ビルボード・アルバム・チャートで6週間1位の大ヒット作となった[ 8] 。このアルバムからの「ブラック・マジック・ウーマン」[ 9] は、サンタナの曲の中でも特に人気の高い曲となっている。
1970年代
1971年、ギタリストのニール・ショーン が加入。
1971年3月、アルバム『サンタナIII 』を発表。
1972年、アルバム『キャラバンサライ 』制作中にオリジナル・メンバー数名が脱退しニュー・メンバーへ入れ替わる事態が発生。
1973年、初来日。
1974年、日本公演でヤマハのギターを使用。これがきっかけとなり、オリジナル・モデルBuddaをヤマハと共同開発、レコーディングやライヴでも使用するようになる[ 10] 。
1976年、インストゥルメンタル曲「哀愁のヨーロッパ 」が、日本でかなりのヒットとなった。
1977年、ゾンビーズのカバー「シーズ・ノット・ゼア」を発表した。
1980年代
1980年、アルバム『スイング・オブ・デライト 』で、マイルス・デイヴィス の第二期クインテットに参加していたウェイン・ショーター 、ハービー・ハンコック 、ロン・カーター 、トニー・ウィリアムス と共演。
80年代初頭には「ウイニング」「ホールド・オン」をヒットさせた。
1984年、ボブ・ディラン のライヴにゲスト参加。その時の模様は、同年発表されたディランのライヴ・アルバム『リアル・ライヴ 』に収録。
1987年、ソロ・アルバム『サルバドールにブルースを』発表。タイトル曲がグラミー賞 ベスト・ロック・インストゥルメンタル部門を受賞し、初のグラミー受賞となる(サンタナ名義での初受賞は1999年のアルバム『スーパーナチュラル 』)。
1989年、ジョン・リー・フッカー のアルバム『ヒーラー』にゲスト参加。
1990年代
1994年、実弟ホルヘ・サンタナ 、甥のカルロス・ヘルナンデスと共にサンタナ・ブラザーズ名義のアルバムを発表。
2000年代
2001年、カルロスがゲスト参加したマイケル・ジャクソン のアルバム『インヴィンシブル 』発売。
2010年代
2014年5月6日、自身初のスペイン語 アルバム[ 11] 『コラソン (Corazón )』発表。
同年11月4日、回顧録「The Universal Tone: Bringing My Story to Light」出版[ 11] [ 12] (ISBN 978-0-31624-492-3 )。
カルロス・サンタナ (2000年 、ミュンヘン のライブ)
人物
カルロスは1965年 に米国に帰化 した[ 13] 。
34年間の結婚生活の後、2007年 10月にデボラ・サンタナは「妥協し難い相違」により離婚 を申請した[ 14] 。
カルロスは2010年 7月にシカゴ 郊外のティンリーパーク で行われたUniversal Tone Tourでのコンサート中にドラマー のシンディ・ブラックマン (英語版 ) にプロポーズ した後、シンディと婚約 した。2人は2010年12月に結婚した[ 15] [ 16] 。2014年 現在、2人はラスベガス に住んでいる[ 17] 。
カルロスにはSalvador、Stella、Angelicaの3人の子がいる[ 18] 。
東洋哲学 に傾倒しており、シュリ・チンモイ に帰依していたことがあった。1973年には、同じくチンモイの信奉者であるジョン・マクラフリン との連名で『魂の兄弟たち 』を発表し、その後チンモイから与えられた宗教名「Devadip」をクレジットで使用するようになった[ 19] 。また、ソロ・アルバム『スイング・オブ・デライト 』(1980年)ではチンモイが作った楽曲を取り上げたが、翌年頃にはチンモイに失望し、最終的に彼のもとを離れた[ 19] 。
ディスコグラフィ
バディー・マイルズと共同名義, 『カルロス・サンタナ&バディ・マイルス!ライヴ!』 - Carlos Santana & Buddy Miles Live! (Columbia , 1972年)(ライヴ)
ジョン・マクラフリン と共同名義, 『魂の兄弟たち 』 - Love Devotion Surrender (Columbia, 1973年)
アリス・コルトレーン と共同名義, 『啓示 』 - Illuminations (Columbia, 1974年)
『ワンネス』Oneness, Silver Dreams - Golden Reality (Columbia, 1979年)
『スイング・オブ・デライト 』 - Swing of Delight (Columbia, 1980年)
『ハバナ・ムーン 』 - Havana Moon (Columbia, 1983年)
『サルバドールにブルースを』 - Blues for Salvador (Columbia, 1987年)
『サンタナ・ブラザーズ』 - Santana Brothers (1994年)
Carlos Santana Live (United Audio , 2004年)(ライヴ)
ウェイン・ショーター と共同名義, 『モントルー・ジャズ・フェスティバル 1988』 - Carlos Santana and Wayne Shorter – Live at the Montreux Jazz Festival 1988 (1988年7月録音)(Image Entertainment/Vap, 2007年)(「モントルー・ジャズ・フェスティバル 」におけるライヴ。DVDビデオ1枚とCD 2枚組)
回顧録
2014年11月4日、回顧録『The Universal Tone: Bringing My Story to Light』が出版された[ 11] [ 12] 。
受賞とノミネート
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム にあるカルロスのスター
2013年12月29日にケネディ・センター名誉賞 を受賞した[ 20] 。
脚注
注釈
^ 父は後にカルロスのソロ・アルバム『ハバナ・ムーン』(1983年)にも参加した。
^ カルロスは1995年に、この件に関してセラピーを受けている[ 1] 。
出典
^ a b “Santana Says He Was Molested As A Child ”. mtv.com . 2018年2月5日 閲覧。
^ “50 facts from life of Carlos Santana” . BOOMSbeat . (2015年12月29日). http://www.boomsbeat.com/articles/105923/20151229/50-facts-life-carlos-santana.htm 2017年8月11日 閲覧。
^ Carlos Santana: I’m Immortal interview by Punto Digital , October 13, 2010
^ a b “Carlos Santana - the king of World Music” . La Voz (Denver: La Voz Publishing Company ) 24 (34). (26 Aug 1998). ISSN 0746-0988 . OCLC 9747738 . http://search.proquest.com/docview/367933042/ . "When the family moved to the boom town of Tijuana in 1955, 8-year-old Carlos picked up the guitar, studying and emulating the sounds of B.B. King, T-Bone Walker and John Lee Hooker. Soon he was playing with local bands like "T.J.'s," where he added his own unique touch and feel to the popular songs of '50s rock 'n' roll. As he continued to play with different bands along the busy "Tijuana Strip," he started to perfect his style and sound."
^ Shapiro, Marc, "Carlos Santana: Back on Top”, pages 57–58, St. Martin’s Press, ISBN 0-312-26904-8 , 2000.
^ Ruhlmann, William (2003年). “Carlos Santana > Biography ”. AllMusic. 2009年6月25日 閲覧。
^ "Carlos Santana." Britannica Academic, Encyclopædia Britannica, 12 Sep. 2013. academic.eb.com.ezproxy4.library.arizona.edu/levels/collegiate/article/476059. Accessed 2 Feb. 2017.
^ “Chart Beat Bonus ”. 14 June 2014 閲覧。
^ “Info on Fleetwood Mac's "Black Magic Woman" ”. 26 July 2020 閲覧。
^ 『THE DIG Special Edition UDO Music Festival 2006』(シンコーミュージックエンタテイメント、ISBN 4-401-63034-3 )p.10-13
^ a b c “In Music, Carlos Santana Seeks The Divine ”. NPR.org (04 November 2014). 14 November 2014 閲覧。
^ a b “Carlos Santana: 'I Am A Reflection Of Your Light' ”. NPR.org (04 November 2014). 14 November 2014 閲覧。
^ “Welcome to the Pacific Coast Immigration Museum ”. learn.pacificcoastimmigration.org. March 18, 2011時点のオリジナル よりアーカイブ。2010年10月19日 閲覧。
^ Dean Goodman (July 12, 2010). “Carlos Santana proposes onstage to girlfriend” . Reuters. https://www.reuters.com/article/idUSTRE66B6QG20100712 November 8, 2010 閲覧。
^ “Carlos Santana Is Engaged! ”. Us Weekly . 2014年6月14日 閲覧。
^ “Carlos Santana Proposes to Drummer Girlfriend Onstage ”. Billboard . 2014年6月14日 閲覧。
^ “Realtor – Real Estate News and Advice Community ”. Realtor.com. 2014年6月14日 閲覧。
^ “Carlos Santana ”. Biography.com . 2018年2月6日 閲覧。
^ a b Caldwell, Rob (2015年8月15日). “Light of the Supreme: Carlos Santana's Devadip Trilogy ”. All About Jazz. 2021年4月10日 閲覧。
^ “List of Kennedy Center Honorees ”. Kennedy-center.org. December 9, 2008時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年6月14日 閲覧。
外部リンク
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