即位礼正殿の儀
![]() 1990年(平成2年)11月12日撮影 ![]() ![]() 即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)は、即位の礼の中心となる、即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する国事行為たる儀式である。 諸外国における戴冠式、即位式にあたり、皇居宮殿・正殿松の間で執り行われる。 概要天皇が自らの即位を国の内外に宣明する儀式であり、諸外国のいわゆる「戴冠式」や「即位式」に当たる。このため国内外から賓客が招かれ、特に国外においては国家元首あるいは首脳が参列する。 古来、大内裏内の大極殿、大内裏が廃絶して以降は京都御所内の紫宸殿で行われた。東京奠都を経た後も、1889年(明治22年)公布の旧皇室典範で『「即位の礼」と「大嘗祭」は京都で行う』との規定により、大正天皇および昭和天皇の即位礼は京都行幸の上で「即位礼紫宸殿の儀(そくいれいししんでんのぎ)」として行われた。1947年の皇室典範改正では第二十四条に「皇位の継承があつたときは即位の礼を行う。」とあるのみでその斎行場所についての記述がなくなった。125代天皇・平成の天皇の即位礼は、平成2年(1990年)11月12日に東京・皇居で行われ、名称も「即位礼正殿の儀」に改称された。 当日はいずれも国民の休日となる(根拠法は、平成時は「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律(平成二年法律第二十四号)」、令和時は「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律(平成三十年法律第九十九号)」)。
天皇と皇后が昇る高御座と御帳台は通常は京都御所紫宸殿にあるが、即位式を行うにあたりその都度解体して運搬され、松の間に設営される(松の間中央に高御座、正殿向かって右に御帳台)。 中庭に面する正殿中央には、京都御所の紫宸殿の「南階十八段」を模して階段(こちらも段数は18段)が設けられる。ただし、実際には使用されない。中庭には幡旗が立てられ、文官武官の装束を身につけた総理府(現:内閣府)、宮内庁職員が「威儀物捧持者」として奉仕する。荒天の場合は中庭の装飾はせず、職員の配置も屋内へと変更される。
松の間には、成年皇族が高御座から向かって左側と御帳台から向かって右側、三権の長が高御座左側のさらに後方に侍立する。 平成の即位礼正殿の儀
明治天皇の即位礼の際に礼服が廃止され、以来即位礼では和風の装束が着用されている。これを「御装束」と称する。
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当時は東西ドイツが統一し、ソ連も冷戦の終結に向けて模索していた一方で中東地域の情勢が緊迫化していたことから[注釈 1]、これらの地域を巡る即位の礼に併せての外交も東京において活発に行われた[2]。
天皇の「おことば」さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。 このときに当り、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。[3] 海部内閣総理大臣の寿詞謹んで申し上げます。天皇陛下におかれましては、本日ここにめでたく即位礼正殿の儀を挙行され、即位を内外に宣明されました。一同こぞって心からお ただいまは、天皇陛下[注釈 2]から、いかなるときも国民と苦楽を共にされた昭和天皇の 私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、世界に開かれ、活力に満ち、文化の薫り豊かな日本の建設と、世界の平和、人類福祉の増進とを目指して、最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます。ここに、平成の 令和の即位礼正殿の儀→詳細は「即位の礼 § 令和の即位の礼」を参照
![]() 2019年(令和元年)10月22日午後1時より、皇居正殿において挙行された。儀式は基本的に平成の例を踏襲する。 儀式の模様は平成時同様、NHKをはじめとする放送事業者で生放送された他、史上初めてYouTube Liveの官邸公式アカウント、ニコニコ生放送(ニコニコニュース)などにてライブストリーミング配信も行われた。
政府が国家として承認している195か国の元首が招待された[7][注釈 3]。参加した国、地域および機関は以下のとおりである。 |